日常のこと

父の17回忌法要。

こんにちは。

健康相談専門くすりの薬師堂です。

 

お盆前に父の17回忌法要がありました。

早いもので、もう16年。

あれからいろんなことあったな~と、ぐるぐるといろんなことが思い出されます。

父が66歳、私が36歳の時でした。

結婚して7年目の時、まさか、自分の家族が・・・ガン?・・・という信じられない出来事でした。

しかも、余命一ヶ月と宣告。父には知らせていない余命宣告でした。

何が何だか分かりませんでした。

 

すでにこちらの仕事はしていたので、週末帰るのがやっとで、今度会った時はどうなっているんだろう?と父に会うのが正直怖かったし、

病室に入る前は笑顔を作るのが必至でした。

いつも最後と思えるようにと頭では思いますが、病室に行くと全く思えないのです。

当時は、県外にお客様をお連れして楽しんでもらったりとかしていたので、いつ「危篤」の連絡が入るのか、気が気ではありませんでした。

連絡を受けても、熊本からではやはりすぐに駆け付けられないので、神様によく「父との最後は、どうか、私がすぐに駆け付けられるようにお願いします」と祈ったものでした。

 

そんな時に迎えた「父の日」。

毎年、洋服とか送っていたけど、この年ばかりは悩みに悩みました・・・。

 

姉とは、「世の中には、朝いってらっしゃいして、事故でなくなる方もいらっしゃるから、私たちにはまだ1ヶ月ある。まだ恵まれてる方よ」と励ましあいました。

 

娘だったせいか、父が好きではなくて、むしろ嫌いの時が多かった。

結婚してからわかる親の気持ちとかあって、やっと今からという時でした。

病室でお世話している時、父が起きていて会話ができる時は、話したこともなかった話をしたり、今まで知らなかった父の姿を知ったりという経験はしました。

「そんな事知らんかったよ」と言うと、

「お前たちを育てるのに、そんな余裕はなかった」と父。

泣きたくても泣けなくて、こらえるのに必死でした。

 

そうこうして、ガンが分かってから3ヶ月半、私たち家族といてくれました。。。。

 

ガンってなんなのか?

やっと理解ができた頃でしたが、家族にはうまく伝えられなくて、分かってもらえなかった部分も多々ありました。

その悔しさは、16年経っても忘れません。

父の形見に、病室で書いていた手帳をもらいました。

その手帳には、退院してからやることリストが書いてありました。

それは、この世を去る前に、というものではなくて、日常のことでした。

父は、ある時までは生きる気満々だったのです。

 

父のことで、家族でしか分からないことも含め、多くの事を学びました。

「あの時、この選択をしていれば・・・」何年思い続けたか、わかりません。

でも、もう今は、「父のおかげで多くの事を学んだ」と感謝しています。

 

ガン患者さんがご相談に来られると、並々ならない想いがあります。

ガン患者さんも、ご家族の方にも、絶望の中にいる人には、少しの光でも「希望」が見えてほしいのです。

元気になってもらいたいのです。

 

17回忌を終えて、またあらたにお仕事がんばろうと思うのでした。

私が、そっちに行くまでたくさんの経験したお話ができるように、人生大切に生きるねと父と約束しました。

 

住職さんの説法で、今の方は、この法要をしなくなった方々が増えたというお話をされていました。

何年か毎の法要って、生きている私たちにもいろんな事を学ぶために、節目節目で必要なことなんだなってあらためて思いました。

 

久しぶりにいろんなことに想いを巡らせた、17回忌法要でした。